年下の男


 達海猛にとっての赤崎遼は、クラブチームの15番だった。
 自らが率いるチームの選手――MFであり、それ以上でもそれ以下でもない。生意気でカッコつけで勝利に貪欲で、そんな一人の選手だった。選手として興味はあるがプライベートとなるとそうでもない。そういう話に飛び火するとしたら、達海はETUのすべての選手の私的な事情にさほど興味はなかった。ともかく、赤崎個人への興味は薄かったという話である。
 そんな相手がいま、目の前で異性にしたたかに頬を打たれていた。
 達海は思わずくわえていたアイスバーを落としそうになり、慌てて棒の部分を手で支えた。そうして野次馬根性よろしく身を潜めて、事の成り行きを見守る。ジーノなら有り得そうだったが、まさか赤崎の修羅場とやらを目撃する羽目になるとは。少なからず驚いている達海を余所に、赤崎と女のやり取りは続けられている。
 聞き耳を立てたところによると、どうやら赤崎はこの女と付き合っていて、今まさにフラれるかの瀬戸際に立っているらしかった。
 しかし、赤崎の顔には焦りだとか相手の怒りを宥めようといった色は見られず、むしろ冷めた目で自らの頬を叩いた女を見ている。赤崎らしいといえばそうなのだが、流石の達海でもその態度がまずいことは分かる。険悪な雰囲気が増して、女が口を開いた。
「貴方はもっと大人かと思っていたわ。別れましょう。これ以上は、私の時間が勿体ないから」
「……そりゃ、こっちの台詞っスよ」
 頭を掻いて赤崎が冷ややかに言い放つ。
 達海はシャクリとアイスを齧りながら、(ああ、これはもう終わったな)と思っていた。幾ら女の方が歩み寄ろうという空気を滲ませても、当の赤崎はもう既に面倒臭そうにこの恋愛を切り捨てようとしていたからだ。
 酷い野郎である。
 手まで溶けてきたアイスの液を嘗め取りながら、達海はジーノとは別の意味で女泣かせのMFがこれから突き付けるだろう言葉を予想した。赤崎の性格からして、一言も二言も言ってやらなければ気が済まないのは明白だった。ただでさえビンタを食らっているのに流せるほど温厚な人間ではない、赤崎は。
 つまりはガキなのだ。
 二十一歳にもなって、自分を抑えられない。
(ま……、そこがフットボールではわりと悪くない方向に働いてるんだけどね)
 棒に付いていた残りわずかのアイスを口の中に放り込んで、唇をぺろりと嘗める。キンキンに冷え切っていた。舌や咥内が麻痺しているみたいだ。
「俺も、もっと大人かと思ってましたよ」
 どの口がそう言うのか。
 飄々と相手を傷付ける赤崎に心底呆れながら、達海はちらりと女性の顔を確認する。予想外に美人だった。達海よりは年下だろうが、赤崎よりは年上のようで落ち着いた雰囲気をもっている。
(年下の赤崎なんかに、そんなこと言われるのは屈辱だろうな……)
 達海の読み通り、女は赤崎の言葉のナイフに傷付いた表情を見せて踵を返した。涙を見せないその様は、赤崎には勿体ないほどいい女のように達海の目には映る。赤崎などより余程いい男が見付かるはずだ。
 名前も知らぬ女の将来をほんの少し想像した後で、達海はどのタイミングでクラブハウスに戻ろうか悩んだ。まさかそんな場面に遭遇するとは思っていなかったし、さっさと自室に戻ってDVDの続きを見たい気もする。
 とりあえず立ち上がろうとした所で、達海は持っていたコンビニの袋を落としてしまった。ガサリ、と落ちたビニル袋の中からドクターペッパーが転がり出て、虚しく音を立てた。慌てて拾おうとした缶を横から伸びた手が拾い上げる。それが誰の腕なのか達海は顔を上げなくてもわかった。
 野次馬として観察していたのは自分だ。
「あ」
「………なにやってんスか、監督」
そこでは、普段通りの生意気そうな顔が達海を見つめていた。


 クラブハウスの狭い自室で、達海は納得がいかないように唇を尖らせていた。
 何故かといえば、ベッドに腰を下ろした赤崎の咎めるような視線を受けていたからだ。別段悪いことをしたという意識は、あまりない。あのような場面に遭遇してしまったのは不慮の事故であり、自分のせいではないという確固たる自信があった。
 もちろん多少は、楽しんでいた部分はあるけれど。
「……で、なんなんスか。俺達のプライベートまで、監督に面倒見られなきゃなんないんですか?」
「見たくて見たわけじゃないよ。俺はお前らのレンアイジジョーとか興味ないしさぁ。偶然、夜食買いに行って来たらお前がいたの。見られたくないなら駐車場で喧嘩しなきゃいーじゃん」
 胡座を掻いて買ってきたドクターペッパーを弄りながら、達海は赤崎の言葉を流す。落としたせいで凹んでしまったフォルムを撫でながら、中身の炭酸がどうなっているのか憂い顔をしていると、生意気な15番が苛立つ気配を感じた。
(やっぱりガキなんだよなぁ……)
 指先で泥を拭いながら、先程と同じことを考える。
 よくよく考えてみれば、35歳の達海と21歳の赤崎では一回り以上の歳の差なわけで『ガキ』で当たり前なのかもしれない。それにしても赤崎の傲慢さはすこし、よろしくなかった。
 椿はチキンだが真面目だ。世良は馬鹿だけれど一途だ。赤崎はどうだろう。達海は思わず溜息を吐きたくなる。
 間違いなく難あり、だ。
「俺がどんな奴と付き合って別れようが、達海さんには関係ないじゃないスか! それともあれッスか? 女一人もうまく処理できないのはMFとして失格とか言うつもりなんですか?」
「あー……、あのさ赤崎」
「なんスか?」
 想像以上の無愛想面に達海は吹き出し掛けたがぐっと堪える。ここで笑ったりしたらますます、このお子様の機嫌は悪化するだろう。
 年下というのは面倒臭い。
「……お前ちょっと、俺と付き合ってみない?」
「はぁっ?」
 その言葉の意図が理解できないと瞠目した赤崎に対して、ニヒヒと悪戯っ子のように笑った達海はとてもじゃないが35歳には見えなかった。
「監督として、年上に対する礼儀とか教えてやんなきゃねー」

 まだ年若い監督は生意気盛りな15番で遊ぶ気満々であった。