前衛世界


 駆け上がっていく。
 誰よりも早く、ゴールへ。
「宮野!」
 名を呼ばれてその方向に目を向けると、椿がいた。ボールを持っている。驚くほど冷静に頭が冴えて、目の前にいるマークマンを外す。よくプレーに集中できているのが自分でもわかった。片手を出してフリーだとアピールした。
 椿からパスが回ってくる。
 足元で受けたボールが芝の上を跳ねた。軽やかなドリブルで駆け抜けていく。オフサイドの旗は上がらずに、誰も自分には付いてこれない。
 ゴールは目の前。
「打てぇ―っ!」
 監督の声が聞こえたと思った瞬間には足を蹴りあげていた。ゴールネットに叩き付けられた白いボールを目で追う。打ったのは誰だ、という疑問が過ぎるが、それは本当に馬鹿な考えでしかない。
 しんと静まり返ったスタジアムに大歓声が押し寄せた。
「ミ・ヤ・ノ! ミ・ヤ・ノ!」
 鼓膜を震わせるサポーターの声に、拳を高く振り上げて応える。不意に強風が吹いた。ユニフォームをはためかせているそれに、後押しされるかのようにゴール裏のサポーターに背を向けてアシストしてくれた椿や、チームメイトの方へ向きなおる。
 だが、そこには誰もいない。
(椿? なんで……)
 もう誰もいなかった。打てと言った監督もいない。耳鳴りにも似た歓声だけが残り、どうしてか分からぬまま困惑しているとピピピピピピ…という機械的な電子音が宮野の耳朶を打った。
 目覚まし時計の音だ。
 ぱちくり、と目を瞬かせる。
 視界に入った見慣れた天井に宮野は自らがベッドの上にいるんだということに気が付いた。先程までのことはすべて夢だったと知り、己の頭を抱えてあの光景を思い返す。夢だと分かると途端にそんな夢想をしてしまったことが恥ずかしくなった。
「くそっ、夢、かよ……」
 FWとしてピッチの上に立ち、ゴールを決める。
 監督が変わり、右サイドハーフとして起用されるようになってから時折見るようになった夢は繰り返し宮野の心に訴えかけてくる。本来のポジションを思い出せとばかりに言いたげなその夢は果たして自分の深層心理なのだろうか。試合に出られるだけでも、今までのことからは信じられないほどの変化だというのに。
 たった11人。
 試合に出られるのはプロチームのたった11人だ。
 選手層に厚いわけでもないETUでも、宮野が試合に出るようになるまで時間が掛かった。まだ若手である自分が選手として活躍するには、とにかく出場機会を得てプレーするしかない。与えられない人間だっている。こんな夢を見るなんて、自分は贅沢なのかもしれない。
 だが。
「………でも俺も、FWなんだよなぁ」
 背中を見た。
 走っていくその背中は近く見えて、けれどその実とても遠い。同い年だというのに、この差はなんだろう。スタメンとして出場機会を自分よりも多く与えられている椿のことを思い、それに比べて己がどうなのかを考えそうになって宮野は頭を振った。
 おそらくは走れるという理由から、達海監督が自分を右サイドハーフという場所で起用しているのだと、なんとなく理解している。
 監督がやろうとしているサッカーに必要なのだ。スピードを買われたからこそ、宮野はここにいる。
「飯くって、自主練行くか……」
 そう呟いて、ベッドから起き上がる。
 悩んだって仕方がなかった。宮野は与えられた役割をこなし、結果を出して本来のポジションを掴むしかないのだから。
 欠伸をひとつ。そして大きく伸びをしてから、宮野はベッドから抜け出した。椿との差をはやく縮めたい。同い年で、友人で、だけれどやはり椿は自らのライバルでもあった。
「うっし、やるぞ!」
 頑張るしかない。
 あの光景をいつか、本物にするためにも。