明けない夜は長い
歓声が聞こえる。
まるで地鳴りのようにスタジアムを揺らすその熱狂を全身に感じながら、羽田は一歩ずつ踏み締めて階段を昇った。
いつもよりも視界は明瞭だ。今日はサングラスの代わりに眼鏡を掛けている。服装も普段応援のときに着込んでいるスカルズのTシャツではない。レプリカユニフォームですらないその姿はサッカーを気まぐれで見に来た一般人の如く映るだろう。
ましてや、今日はアウェーだった。
やっと階段を昇り切る。アッパー席は本当に久々だ。ゴール裏から見る景色とは違うものが眼下に広がって、羽田は遠目から必死に声を振り絞っているスカルズの面々を目を細めて眺めた。
今日、自分の代わりにまとめているのは誰だろう。
気にはなったが、こんなことを考えるためにいつもの定位置から離れたわけではなかった。ゴール裏へと向けていた目を大型画面のスコアへと移し、次いでピッチの選手たちへと動かす。試合は後半が開始してから10分ほど経っていた。
スコアは0‐1で負けている。
見慣れた光景だ。このままチャンスが掴めずにロスタイムを迎えて、試合終了のホイッスルが鳴るのが悲しいかな、ETUのパターンだった。
羽田が応援しているのはそういうチームだ。
監督の戦略が見えずただ顔ばかりが変わり、選手たちの頑張りが試合結果に反映されない。サポーターは年々減っていく。監督批判・フロント批判がスカルズ内でも渦巻き、羽田自身も納得いかない部分が多かった。
平日の夜だからか、スタジアムは全体的に閑散とした雰囲気を漂わせている。相手チームのサポーターもあまり入っていないように感じる。協会が主催のカップ戦だからだろう。どのチームも盛り上がりに欠けるのは同じようだった。
ため息にも似た吐息をこぼして、羽田は片手にしたチケットの座席を確認する。アスファルト舗装された急な階段を降りていくと、ぽつぽつと点が散らばっていてフィールド上を動いている。思わず拳を握った。
声を張り上げればその分だけ、跳ねれば跳ねただけその応援が選手たちの力になると信じて羽田はこれまでやって来た。サッカーなど興味もなかった自分が熱狂し、夢中になってのめり込むということを教えてくれたのがこのクラブチームだ。見捨てるなんて考えたこともなかった。
だが、羽田は迷っていた。
(チッ…、そこは勝負する場面だろうが!)
珍しく前線に運ばれたボールはもたついている間に相手チームのDFにクリアされる。判断が遅いのだ。いつになく苛立つ自分を意識して羽田は頭を振った。
ETUから気持ちが離れたわけではない。ただ、このままこのチームを応援していていいのかという疑問が脳裏を過る。
二部から戻ってきたとはいえ、まだまだETUは降格や残留という二文字が拭えない。勝てない試合も多い。この状態では今季もおそらくは……そういった不安がまとわりついて離れないのだ。羽田の迷いはサポーター誰しもが考えたことがある迷いだろう。そして、そのまま離れていく者が多いことも知っている。
そういうサポーターをこの数年間腐るほど見てきた。
スカルズを暫定的に束ねている羽田ですら、こうしてふいとスカルズから離れて見たくなるのだ。どうしても外せない仕事があるから試合に行けないと半ば嘘を吐いて、懸命に声を張り上げる仲間と距離を置いた今日の羽田にとって、何より頭が冷えるきっかけになった。サポーターになる以前は感じもしなかったこの暗澹とした気持ちを持ったままチームを応援して、その声援は果たして選手の力になるのだろうか。
ワァァ――ッ。
沸き上がった音に、意識を試合から逸らしていた羽田ははっとピッチを見下ろした。
杉江が相手のボールをクリアする。それを拾った石神が走り、フリーになっていた堀田にパスが通った。スカルズのチャントが高らかに歌い上げられ、ボールが堺に回る。
「そこだ!決めろ堺…っ!」
立ち上がり、まるで獣に食らいつくように鋭く羽田の口はそう叫んでいた。
しかし堺の蹴ったボールはゴールポストに嫌われて勢いをなくす。相手のGKがチャンスを完全に潰そうと動き、落胆の色がETUの観客席に漂う。だがそれを掻き消すように羽田は拳を握って腹の底から叫んだ。
「押し込めっ!!!」
前線に詰めていた村越が浮いたそのボールをねじ込む。ドッとスタジアムに歓声が溢れた。
悔しそうな相手チームの選手たちと、同点に追いついたことでにわかに喜びに湧くサポーターの元へ、先程よりは幾分か明るい顔になった村越が手を挙げた。活気づいたスタンドで応援旗がはためき、選手たちを激励する。
「ははっ…、は……」
乾いた笑いが込み上げてきて、何故かは知らないが羽田の視界が潤む。
(……そうだ。この瞬間があるから、この感覚があるからこそ、俺は今まで応援してきたんじゃねぇか。今更、なに迷ってんだ)
眼鏡を指の腹で押し上げる。その表情はもはや晴れやかなものになっていた。
ピッチではまだ試合が続いている。
同点という状況に相手方の監督が動いた。選手交代だ。立ち尽くしていた羽田はようやく座った。ボールを追う選手たちを見下ろしながら、感じた興奮を大切に心に刻み付ける。
(あんなプレーがあるからやめられないんだよな、サポーターってのは)
終
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