おちる唇
熱い粘膜に興奮する。
唇と唇を密着させるだけの行為がどうしてこんなにも自分を煽るのか達海にはわからない。他人の口のなかに舌を突っ込むことを汚らわしいと思っていたはずが、今では自分から仕掛けたり誘ったりしている。
酷い変わり様だった。
快感を覚えて堕落するとはまさにこのことだ。達海は今まであまり、こういったことに執着やらしたことがなかったからそれは未知の感覚である。心地良いようで、確実に口付けや触れ合いで罪悪感は増した。
男同士だったからだ。男とキスをするなんてETUにスカウトされた当初は思わなかったし、達海の性的嗜好はノーマルだ。高校時代に付き合っていた彼女は、スカートが似合う少女だった。なのに今、達海は同じ日本代表の、エースその人と舌を絡め合って気持ちいいと感じていた。
その堕落から抜けだそうとは思わない。軽はずみに抜け出したいと思うような感情ではなかった。だが、止めるべきだという考えはずっとある。
「んっ、」
漏れた吐息に自分を抱きすくめる力が強くなった。じっとりとした暑さに汗ばんだ肌と肌がべったり触れ合って、途端にその感触が気持ち悪くなる。不快感に眉を顰めたのは相手も同様だった。
口付けが終わるのは唐突だった。
「もう終わり?」
唇を離すとすぐに、成田が顔を背けた。思わず聞いてしまったのは、名残惜しかったからではない。そもそもキスをしてきたのは成田の方からだというのに、さっさと顔を逸らすだなんて納得がいかなかったのだ。
その言葉に成田は達海を一瞥したものの、結局はすぐに視線を元に戻して笑いもしない。無愛想なのは元からだ。それより何より、彼は達海のことを好いていない。紛れもない事実だった。それが面白くなくてむっと不満を露わにした。
「成さんってずるいよね」
「……何がだ」
まさか返事がかえってくるとは思わなかったので内心すこし驚きながら、達海は唇をすぼめてじと目を向けた。視線に成田が振り向く。その双眸が今度はしっかりと達海を見ていた。自分がそこに映っていると分かると、先程まで心に巣くっていた澱みがわずかに晴れそうだ。
好かれていない自覚がある分だけ、達海は成田のそうした動作に過敏になっている自分が居ることを知っている。どうして相手が自分と、こんな曖昧な関係をしているのかわからなかった。代表収集時は別としても、普段は敵である自分だ。加えて、達海は『あんなこと』を言ってしまっている。心象が悪くなるのも当然だった。
はぁ、と息を吐いて達海は東京Vのエースから離れた。
「…なにがって、全部だよ。ゼンブ。成さんはずるい。もし自覚があってとぼけてるなら流石ってかんじだね」
成田が反論する暇もなく畳み掛けるように、澱みなく達海の唇が動く。
「でも俺はそういうの嫌だから。成さんが幾ら反論しても、聞きたくないし聞くつもりもない」
達海はにっと不敵に笑う。
その笑みに成田は嫌な予感がして、成田は真意を問い詰めるために口を開きかけた。
瞬間、成田の視界いっぱいに達海が広がる。瞠目した双眸に映るのは目を閉じて、いつになく無防備に見える達海の顔だった。何の邪気もない、透き通った芯が真ん中に通っているようなその表情は、唇に触れた感触とともに成田の心を揺さぶった。
ゆっくりと離れた口唇。呆然とキスをしてきた男を見つめることしかできずにいると、達海の顔にはすでに平時のゆるい笑みが浮かんでいた。
「じゃ、またね。成さん」
一言、そういって軽やかに走り去った達海の背を見送って、成田は一度唇に指で触れてから思いきり腕で拭った。
ひどく生々しい達海の体温が残っているような、気がした。
|