膝枕とキス

 撫でる手はどこか冷たい。
 それは達海の体温があまり高くないからだ。高くない、と一口にいっても冷え症だとかそういったことではなく、少なくとも自分ほど熱くないという話である。意識をしたことはなかったが、椿の手は達海いわく「とても温かい」らしい。自分ではよく分からない。
 年下だからと甘えているわけではなかったけれど、いつだって椿は達海に甘えてばかりだった。
 いまもこうして頭を撫でられて、それで幸せだとかを感じている。達海に気に掛けてもらうと心が弾んでうれしくなるのだ。
 それは不思議な感覚だった。
 目を閉じて幸福に浸っていると、不意にふぁぁぁ…という欠伸が聞こえてくる。ふっと目を開けるとそこにいた達海はなんとも眠そうな顔をしていて、ともすればあっという間に目蓋がくっついてしまいそうだった。先程の欠伸が誰のものか、この場に百人居たってすぐ分かってしまいそうなくらいである。
 疲れているのなら、自分に構わず休んでいいのにと思いながらも言い出せずにいると、達海はもう一度大きな欠伸をひとつした。それでも椿の頭を撫でている手は止まらない。
「んー……、だめだ。眠い」
「……昨日も徹夜スか?」
 呟きに問い返す。
 眉間にぎゅっと皺を寄せて目を閉じた達海は、椿の問い掛けにあーうーと唸り声を散々上げてから応えた。
「うーんと、徹夜っていうか、明け方くらいに試合のDVD見終わってそれから寝て、そんで有里に起こされたから……。あんま寝れてないだけ」
 寝れていない、と言う達海の顔はすこし疲れが見えて睡眠不足というのも頷けた。思ったり考えたりするよりも先に口が動いていた。
「監督、身体大切にしてくださいっ!心配……なんス」
 思ったままに言葉を発すると、達海はきょとんとして驚いた風だったが、すぐにニヤリと意味深な笑みを口許に浮かべた。状況が掴めない椿はなんとなくその笑い方にいじめっ子のようなものを感じ取り、人知れず冷や汗を垂らす。
「そーんなこと言うんなら、椿君に膝枕でもしてもらうかなー」
「へっ?」
「心配してくれるんだろ? なら、俺が寝やすいように枕になって」
「でで、でも……俺、別に柔らかくないっスよ!」
「いーの。俺はお前に枕になってほしいんだからさ」
 そう言うと、さっさと身体を仰向けにして椿の太股辺りに乗っかる。椿も慌てて、痛くないように考えて胡座を掻いていた脚を崩した。
「かっ、んとく!」
「椿、枕が動くなー」
「ままま、枕っ?」
 思わぬ発言に素っ頓狂な声を上げる。みるみる慌てた椿に達海がぷっと小さく吹き出した。
「……そう、俺の枕」
 眠たそうな目を細めてニヒヒと笑った達海に椿は心臓を鷲掴まれてしまった。
 こんなに素敵な人が自分を好いていてくれるだなんて信じられなくなって、けれどやっぱりこれは現実以外の何物でもなくて、本当に空が飛べるんじゃないかと思うくらいにうれしくて堪らなくなった。
「じゃ、おやすみー」
 そのまま、椿の気も知らずに達海は彼の脚を本当に枕にして目を閉じてしまう。
 赤面してぱくぱくと口唇を震わす椿だったが、程なくして聞こえてきた達海の寝息に羞恥心と安堵がごたまぜになってほっと息を漏らした。
 疲れていたのなら、本当に自分のことなど気にしなくていいのにと椿は思う。だって椿は寝ている達海の側にいられるだけで幸せなのだ。
 自分の脚を枕にして寝入っている達海を見下ろしながら、椿はそのツンツンとした髪をそっと、なるべく気付かれないように撫でる。普段はちっとも隙なんて見せない十五も離れた恋人が、今は自分に寄り掛かって幸せそうな寝顔を晒しているなんて夢のようだ。
「監督、かわいい……」
 ぽつりと呟いて、髪の毛を撫でる手を止めた。露になっている額に引き寄せられるように唇を近付ける。そっと肌に触れた感触を確かめると、素早く唇を離した。
(これくらい……いいっスよね…?)
 秘密の口づけに耳朶まで朱く染めながら、椿は傍らの監督が目覚めるまでにこの赤い頬がなんとか治まることを願ったのだった。