ハウンド・ドッグ
指が動いた。
骨張った掌が白いボードの上を指差して、熱心な口調と共に動いては止まり、また動く。達海のその声を耳にしながら、椿はどうしても集中することができずにそわそわしていた。
ふっと伏せていた目を上げると、他の部位より焼けていない白い喉が視界に入る。噛み付きたい。衝動的にそう思った椿は即座に己の不埒な想像を殺した。
説教は未だに続いている。
今日も、ミスをした。お前はそれでいいと言われたけれど、やはりミスは少ない方がいいはずだ。そう思うと自分が情けなく、重圧に負けてしまう臆病者なことをますます自覚した。
小さくなった椿に、怪訝な顔をした達海が話を止めた。
「どうかしたのか、椿」
「あっ、はい、いや……っ、なんでもないッス」
「? それならいいけど。……つーか、ちゃんと話聞いてた?」
探るような達海の言葉に椿は一気に身を硬くした。力が入ったその様子を見ただけで、椿が明らかに話を聞いていなかったのは明白となり、達海はため息と共にボードを投げ出した。
呆れたような、興味を失ったようなそんな顔になっている。
『監督』の態度に椿は一瞬にして顔面蒼白として、土下座をする勢いで謝った。身を入れて聞けなかったのは自らの落ち度だ。まさか、達海の喉を見ていたから話を聞いていなかった、とは言えないために兎に角平謝りしていると、どうでもよさそうな声が椿の後頭部に降ってきた。
「疲れてんの?」
咄嗟に顔を上げて否定しようとした椿だったが、その言葉は飲み込まれる。
緩く締められたネクタイとシャツのすぐ上の素肌から、骨っぽさを感じる窪みがこちらをちらちらと覗いていた。普段だって同じようにあるはずの骨が、いまの椿には堪らなく扇情的なものに見えた。
「…そういう、わけじゃ、ない、ッスけど………」
気まずくなって視線を逸らした。
心臓が尋常じゃないほど激しく脈打って、このまま一気に寿命まで走り抜けてしまいそうだった。椿はもう、自分が正常に呼吸できているかもわからなくなる。
心臓発作で死んでしまったら、どうしよう。
くだらない思考が頭の中をぐるぐると回って、出口が見つからない迷路みたいだ。
「よし、わかった。もう戻っていいから、ゆっくりカラダ休めとけ」
「え?」
さらりと言われた言葉に顔を上げると、達海がちょうど立ち上がったところだった。
見下ろされる。達海の双眸がじっと椿を見ていた。
飄々とした風体の監督は、自分みたいな若造には分からない底知れぬものを隠している気がする。その目の奥深くに。どんなに穴が開くくらい見つめたとしても椿には到底理解できない、なにかを。
「俺は、お前だけ見てるわけじゃないからね。はい、次、世良ー」
「ウッス!」
呼ばれて入れ替わるように、世良が走ってくる。
まだこの場に居たいのにそれは叶わないことで、椿は強制的にその位置から追い払われてしまった。名残惜しげに振り向くと、世良が真剣な顔をして監督の話に聞き入っているのが見える。
(なんだよ、俺。ダメじゃん……)
達海から離れていくうちに、段々と落ち着いていく心拍数を感じながら、椿は空を仰いだ。
太陽がまぶしすぎて、少し目が痛くなった。
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